ジュエリーを愛する人たちから、そのプロダクトの美しさだけでなくものづくりの姿勢においても絶大な支持を受けている「HASUNA」。代表・白木夏子がその立ち上げを構想したとき、あらゆる人から猛反対されたと言う。しかし、彼女は志を遂げた。日本でもっとも名の知れたエシカルブランドになったのだ。

そして、彼女は創業時から培ってきた「エシカルブランド」のイメージを思い切って脱ぎ捨て、HASUNAをラグジュアリーな「ジュエリーブランド」に育て上げる方向へ舵を切ることにした。ブルーオーシャンから、レッドオーシャンへ。それは、茨の道であることは明白だ。なぜ、彼女は常に「挑戦」し続けるのか? 穏やかな表情の裏側にある強さを探る。

あえて、ブルーオーシャンからレッドオーシャンへ挑む

「ブラッド・ダイヤモンド」。かつてレオナルド・ディカプリオが同名映画の主演を務め、一躍その存在を世に知らしめた。あれは、フィクションなどではない。「ブラッド・ダイヤモンド」のように、ジュエリーによって争いや貧困、ときに環境破壊も生み出される例は、現実にもごまんとあるのだ。

それらと一線を画し、人や自然に配慮した素材を使ったジュエリーのことを「エシカルジュエリー」と呼ぶ。HASUNAは、日本でもっとも成功したエシカルジュエリーブランド——「だった」。

「HASUNAを起業したきっかけのひとつは、インドに行ったときに鉱山労働者の方々と出会ったこと。彼らは大人も子どもも暗い顔をしていて、未来に希望なんてまったく持っていなかった。しかも、私が行ったインドの鉱山で採掘されていたのは、私たちが持つパソコンやカメラに使われる『雲母』という素材。その後、勉学を通じて鉱山労働問題はインドの雲母だけではなく、金や宝石の鉱山でも起きていることを知りました。貧しい生活を強いられている人が、私たちの豊かな生活の土台になっている。ジュエリーなんて、まさに豊かさの象徴でしょう? その負の連鎖を打破したい一心でした」

実業家 白木夏子

ところが、ジュエリー業界での起業は、壁しかなかった。宝石の問屋街に行っても、産地のわかる素材がほとんどない。誰に加工をお願いしていいのかもわからない。「エシカルジュエリーなんて謳えば、命が危ないぞ」と言われることもあった。

しかし、白木は諦めない。「みんなやらずに無理と言っているだけ。やれば道は開けるはずだ」と行動に移すことにした。大学や国連のインターンで知り合った世界中の友人に片っ端から「鉱山労働者や宝石職人の知り合いがいれば、ぜひ紹介してほしい」とメールを送り、いい素材を扱えそうだと聞けばどんな僻地にでも飛んでいった。パキスタンでは崖っぷちの道を2日間かけて走行し、鉱山労働者や研磨職人に会いに行ったこともある。そうして得た素材をジュエリーに形づくり、置いてもらいたい店に一軒ずつ電話する——。地道な仕事をほとんど一人でこなしていくなかで、「できない」のではなく「誰もやらなかっただけ」ということをあらためて実感した。

実際にセレクトショップに置いてもらうようになると、その高いデザイン性が目を引き、安定した売上が立つように。エシカルなジュエリーであることも話題となり、HASUNAは軌道に乗った。

その後は、順風満帆な8年に見える。起業2年目には日経ウーマン・オブ・ザ・イヤーを受賞。AERA「日本を立て直す100人」に選出され、世界経済フォーラムにも参加。Forbes誌「未来を創る日本の女性10人」にも選ばれた。念願だった、伊勢丹新宿店への出店も果たした。しかし、白木は満足しない。これが、HASUNAがエシカルジュエリーブランド「だった」所以だ。

HASUNA表参道本店

「設立してしばらくは、私自身『エシカル』という言葉に共感してくださった方や『美しいものを買って社会貢献もできる』と考えてくださる方の期待に応えようとしてきました。でも、いま私たちが目指すのは、世界中から愛される純然たるジュエリーブランド。エシカルを抜きにしても、世界で戦えるブランドを育て上げていきたいんです」

なぜ、成功していたように見えるエシカルなイメージからの脱却を図るのか。それは、HAUSNAのブランドとしての矜持だ。取材を受けても「社会起業家」という一面ばかり取り上げられ、ジュエリーの写真は一枚も掲載されない。撮られるのは、自分の写真や起業のストーリーばかり——。はじめは認知度の向上のため仕方がないと受け入れていた白木も、ブランドの理想形を深く考えるなかで、いまの状態はあるべき姿ではないと思い至った。

また、エシカルであることはジュエリー産業はもちろんのこと、ものづくりからすべての産業において、空気のような存在として当たり前なことだとも考えていた。そのためにHASUNAはエシカルな企業であると声高に区別するのではなく、そのモデルとなるためにエシカルという冠をあえて降ろすことを決断した。

そこで2015年を境に、お客様との接点であるブランディングのすべてを「春の草木が芽吹くように」少しずつ変えてきたという。「エシカル」は強烈なキーワードだが、そこが前面に出ていては届けられる人も限られてしまう。狭いマーケットに留まっていては、退歩するしかない。その恐怖も、彼女を突き動かしたもののひとつだった。

「マーケットは常に動き、そこに生活する人間も少しずつ変化していきます。現状維持は、退歩と同じ。多少成功したからといって満足していては、あっという間に取り残されてしまう」

しかし、「エシカルジュエリー」という、いわば他ブランドとの差別化になる要素を切り捨てるのは一大決心だ。通常の企業であれば、製品も、サービスも、ブランディングもブルーオーシャンの部分を探し、なるべく競争を避けるもの。現状維持の「恐怖」よりも、変化の「恐怖」のほうが大きいのではないだろうか。

「たしかに、エシカルジュエリーというジャンルは、いわゆるブルーオーシャンの市場でした。日本ではHASUNAが開拓者であり、そこに居続ければ安全だし、限られたパイを奪い合わなくても済みます。でも、私はHASUNAが小さなマーケットで終わる姿をイメージできなかった。ジュエリーブランドとして成長しない限りは自己満足のブランドで終わってしまう。また、スケールアウトすることで途上国鉱山や工房からの取引量も雇用も増え、社会に貢献できる。そして理想的な姿、つまり純粋にジュエリーという美しいものが好きで、大切なものを手にしたいと願っているたくさんの人に愛されるブランドに育てたかったんです。だから、次のフェーズに挑戦する決断を下しました。

ペルー 金の鉱山

ただし、HASUNAがいままで大切にしてきた『生産、流通過程がエシカルであること』を覆すわけではありません。たとえるならば、コップに浮いている氷がごろりとひっくり返り、表面に出ている部分が変わっただけ。お客様の目に映るイメージは変われど、行っていること自体に変化はないのです」

エシカルを謳わないことで、本当のエシカル文化を醸成する

エシカルジュエリーというブルーオーシャンから、肩書きのないジュエリーブランドというレッドオーシャンへ。目指すビジョンは大きいが、白木はそれを鼻息荒く語るわけではない。熟考の上に熟考を重ねた結果、「これしかない」という結論に行き着いた。そんな人間特有の、清々しい表情をしている。

「世界を目指すと決めたことで、大変なこともあります。たとえば、会社を大きくする過程では、いわゆる『会社の基本』をしっかり押さえなければなりません。それは、いままで経営者ひとりの裁量で決めていたことを、ほかの人に権限委譲していくことでもある。組織づくりや運営により注力する必要が出てきます」

だからこそ経営者としても一段成長することができた、と彼女は気負わずに言ってのける。とはいえ、少人数で小さい売上を回す組織と違い、組織を大きくすれば人件費もかかり、雇ったスタッフやその家族にも責任を持たなければならない。実店舗の展開を広げれば、固定費も増大してくる。より大きな売上を継続的に立てなければ、それらは大きな負担となってのしかかってくるだろう。それは彼女にとっても、まったく未知の世界のはずだ。

「もちろん、2、3人規模の小さな会社にして、手の届く範囲の人にだけ私たちのジュエリーを届ける、という選択肢もあるでしょう。でも、その規模の会社では、世界中の人にジュエリーを届けることは難しい。自分の目指す世界観を追求していった結果、組織を大きくしようと思った。ただそれだけのことです」

そして、それはHASUNAが掲げていた「エシカル」にも通ずることだ。HASUNAの売上が大きくなれば、鉱山労働者ともジュエリーの職人とも、安定して取引が行えるようになるのだから。

HASUNA bridal メインビジュアル

「ペルーやコロンビア、パキスタンで出会った鉱山労働者が採掘した石や金で、私たちは美しいジュエリーをつくる。そのジュエリーを、より多くのお客様の手に届ける。鉱山労働者は適正な労働の対価を継続して受けとることができる。そんなサイクルを回し続けたいと思っています」

HASUNAを中心とした経済活動の規模が大きくなれば、結果的にジュエリーブランド業界全体にも一石を投じる形となる。「エシカル」を掲げずとも、世の中は静かに、そして確実に変わっていくだろう。


<後編に続く>

取材・テキスト / 田中裕子
写真 / 高木孝一


HASUNA|ジュエリーブランド
http://www.hasuna.co.jp/

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