サッカーに明け暮れた少年時代。

日焼けした肌がよく似合う、大人の自然児。

淡々と、恐ろしく納得感のあることをスパッと言い切る。

松嶋啓介、本場フランスのミシュラン一つ星を外国人最年少の29歳で獲得し、フランス芸術文化勲章を持つ、世界が認める料理人。38歳の現在はフランスと日本で多店舗展開するオーナーシェフの顔はもちろん、日本から世界に飛び出す“馬鹿者”を鼓舞する活動、海外での起業のアドバイス、執筆など、そのアクションは多岐にわたる。日本のシステムから逸脱した若きサムライ・シェフはいかに生まれ、どんなスクラップ&ビルドを展開してきたのか。またその行動のエンジンは何かを探る。

知るべきは仕事の本質や価値観

「オーナーシェフで多店舗経営してるって言うだけで『ビジネスだね』って言われる。けど、『ちょっと待ってくれ』と。お店一軒出した瞬間からもうビジネスは始まってるんだから、二軒、三軒出したから『ビジネスだね』っ言うこと自体、リテラシーが低いと思ってしまう。それは単純に妬みだと思うんです。妬んでる時間があるんだったら、自分で頑張れば?って僕は平気で言っちゃうんで、嫌われてました(笑)」

いちシェフが多店舗経営を行うことに対して、辛辣なフランスのジャーナリズムから集中砲火を受けても松嶋は意に介さない。むしろ彼らは“Business”という言葉の意味を理解していないと一刀両断だ。

「“忙しい”のを途切れさせずにやる人なだけで、要するに人よりも忙しい状態を作り続けてるわけですよね。自分自身も、自分に関わる人も」

それを金儲けと捉えること自体、レベルが低いのだ、と。そうしたある種の言葉の呪縛や固定観念を前に松嶋自身の体験から発される言葉が優位なのは当然だ。フランスでビザを取る際には商業手帳が必要で、料理人は料理だけしていればいいというのは、外国人に「うちの国で店を開くな」というのと同義だ。

「自分の価値観だけで相手を見る、その人がやってる仕事の本質みたいな価値観が何かを知らないまま相手を判断する人があまりにも多い。」

怒りを通り越した諦観なのかというと、そういうことでもない。彼自身のバックボーンに「仕事の本質」を醸成する豊かな体験があり、それが人間に対するフラットな視点を彼の中に育んだ。

原体験として生きている薪割りや殺生

「人と違うことをやる」

小学5年生の時に読んだコロンブスの漫画伝記から受けたストレートな影響が、そのまま松嶋を動かすエンジンとして存在し続けているのだという。それに加え、実家は農家。祖父の生業だ。

「「小遣い稼ぎたかったら、自分で鍬持って畑耕すか、薪割りするか。薪割りは好きだったけど、なかなか割れない。一回、指を落としそうになっちゃって。でもうまくやれないと痛い思いをするから、いい勉強になりましたよ(笑)」

料理人 松嶋啓介

当然、米も研ぐし、家族で料理もする、時には自ら鶏もしめる。子供の頃から何かを食べることの前提に殺生や手間があることを知識と肉体で知っている。

フレンチのシェフになれば?というのは母親のアドバイスだったそうだ。

「朝、牛乳変えたら『牛乳変えた?』とか、味噌汁の味変わってたら『あれ?今日から味噌変えたの?』とか口にしてたんです。あとは、ボーナスが出たら家族ですごくいい中華料理屋に行って、エビチリを食べたり。で、親が必ず一週間以内に真似するんですよ。それを僕が味見して、『ちょっと違うな。もうちょっと酸っぱかったよな』みたいな。親は僕が食に敏感なのを分かっていたんだと思う」

環境という恵みもあるが、松嶋はあくまで「学習した」という。

「どのキンカンが酸っぱいか?なんて自分の経験重ねるしかない。『すっぺ!』と思ったらバカでも学習しますよ(笑)。

僕、なんでもダメな時は『クソだね』って言うんだけど、それは『クソも畑の肥やしになるからいいんじゃない?』ってことなんです」

失敗を失敗で終わらせるとただの失敗。失敗そのものは悪でも善でもないのだ。

中高とサッカー少年だった松嶋。一つだけ後悔があるという。

「高校生の時、上の選手権まで残るか残らないかって時に、夏のインターハイが終わった段階でサッカーを辞めたこと。大学を目指してたわけでもないのに周りに流されたのか、自分の意思決定がうまくできずに後悔しました。別にJリーガーになれるとかじゃないけどね。これからは後悔するかもしれないような人生の判断と決断はもうしない!って決めました」

加えてサッカー日本代表に選出された先輩を間近に見て学ぶ。

「才能もそうだけど彼は始めたのが早かった。てことは、社会人になったらスタードダッシュしないと、周囲と差をつけられないと思いましたね。だから修行始めてからは人に見えないようにいっぱい努力してました。”裏練”みたいなもんです」

他人の都合、自分の都合

10代の松嶋は節目節目でキーマンに出会う。高校卒業後、調理専門学校に通いながら渋谷のレストランでも働き始める。

「師匠に聞いたんです。『この業界は大変だと思うんですけど、どういう時が大変ですか?』って。そしたら『好きなことやってるのに大変とか苦労とかない』って言うんですね。『そう思うんならやらないほうがいいよ』って」

元から彼自身、分かっていたことが師匠の言葉で腹落ちした。

「好きなことをやらせてもらえる時間は、世の中にはそんなにいっぱいないっていう判断だったんです。世の中っていうのは、親の都合でとか、彼女の都合でとか、奥さんの都合、子供の都合・・・要するに自分のやりたいことは自分の都合だけで決められない。その中で自分のやりたいことをやってるのに、それを大変っていうのがどんだけヘボいか?って思ったんです」

とはいえ、松嶋もその“世の中”で生きている。渡仏時すでに既婚者だった彼。“奥さんの都合” “家族の都合”も、もちろんあった。

フランス料理レストラン「KEISUKE MATSUSHIMA」ニースの店舗内観

「『フランスに残りたいから離婚しよう。ごめん、自分のやりたいことやるわ』って(笑)」

最後のカードを切ってでもフランスで店を開こうとした松嶋に、奥さんは開店資金を拠出、夫婦でフランスに残る方法を選んだ。「あのお店美味しかったよね」「あのお店好きじゃないよね」っていう食べ物の価値観が合ったから、パートナーとして生きているのだ、と。辛辣な評価を下すフランスのジャーナリズムではあるが、一方でヨーロッパではシェフや料理の修業経験のないシェフも存外少なくないことを知る。

「要するにマーケティングがちゃんとできないとダメですよね。ちゃんとお客さんの嗜好が分かるっていうことと、同時に料理がどういうことか頭で理解できないと、自分が作らない指揮者としてディレクションできないなってことを学びましたね。例えば、小澤征爾はすごい指揮者だけど、全部の楽器が弾けるか?って言ったら分かんないですよ」

松嶋はソリストではなく指揮者を選んだ。そこで日本のシステムに疑問が浮上する。

「日本って、例えば管理部長をやりました、企画開発ができました、それから人事部長ができたら社長になってください、と。そんなの無理な話で。一番上に立つ人がパーフェクトじゃなきゃいけないって、求めてもできるわけない。そこがヨーロッパと日本の違いかな。日本はピラミッドの階段を一つずつ登って、登りつめて行ったら社長になるけど、今度はその人が少し完璧じゃなかったらすぐに足を引っ張る人が出てくる。心狭いなって思いますよ」

ポジショントークや保身、世の中を変える面白い仕事をするにはどうすればいいのか?をクリエイトする以前に萎えることが多いという。

「政治の世界もそうじゃないですか?すぐスキャンダルで足を引っ張る。本気かどうか分からないけど、よく『都知事になってください』って言われる。だけど女性と飲みに行ったり遊べなくなるから嫌だな(笑)」

冗談めかしてはいるが、一事が万事、人の足を引っ張る輩に割く時間はないということだろう。


<後編に続く>

取材・テキスト / 石角友香
写真 / きるけ


KEISUKE MATSUSHIMA公式サイト
http://www.keisukematsushima.com

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