前編を読む

単独・無酸素という過酷な条件で、秋季エベレストへ挑戦し続ける登山家・栗城史多。凍傷で手指9本を切断しても、5度失敗しても、それでもまだ登頂を目指す。「冒険の共有」を掲げ、苦しみや喜びも全部含めてその挑戦を中継して見せる。そのためには、莫大な資金もかかる。栗城は山に登るための資金集めを「地上の山登り」と呼ぶ。その山とどう向き合っているのか? 原動力は何なのか?栗城の挑戦の背景を探る。

「冒険を共有」することで、夢に向かう人を増やしたい

栗城はただのアルピニストではない。無酸素・単独という過酷な条件を自分に課し、生中継による「冒険の共有」にこだわる。そこにはどんな思いがあるのか。

「最高峰に挑戦するということであればほかにももっとすごい登山家たちがいます。『冒険の共有』がなかったら僕の冒険にはならない。たくさん苦しんだり、失敗したり挫折したり、それでもなんか楽しそうだよねって、そういう僕の生の姿を共有する。そこに僕の冒険のアイデンティティがあるんです」

栗城は自身のHPに「見えない山を登っているすべての人へ」というメッセージを掲げる。栗城が挑戦しているような冒険の世界が特別なわけではなく、誰もが冒険し、見えない山を登っている。その山を登っているすべての人と冒険を共有し、夢を否定せずに自分のなかのエベレストに一歩踏み出す人を増やすこと。それが栗城の冒険であり、栗城の山である、と。

「僕がただ山に登るだけではなんの意味もない。無酸素・単独という自分が決めた条件と、『冒険の共有』をすることだけはやっぱりゆずれないんです。失敗とか成功とかその枠を超えて、挑戦している『今』を見せる。それが僕の『使命』だと思ってやっています」

2004年、大学3年生のときに単独で北米最高峰マッキンリー(6194m)を登った栗城は山に魅了されその後、6大陸の最高峰を登頂。大学卒業後の2007年、チョ・オユー(8201m)から動画配信をスタートさせた。

そもそも栗城が動画配信を始めたきっかけは、あるテレビプロデューサーの一言だった。2007年に出会った「電波少年」など型破りな番組を手がけてきた日本テレビの土屋敏男氏に、ヒマラヤ山脈に登ることを話したら「現地から動画配信をしないか?」と声をかけられたのだ。面白そうだ!と思った栗城は二つ返事で引き受け、その様子は『ニートのアルピニスト、はじめてのヒマラヤ』というタイトルで配信された。

登山中に動画配信する栗城氏

「ニート」が社会現象にもなっていた頃、登頂できなかった栗城のもとにはインターネットを通じて「死んじゃえ」「ばかか」「ざまあみろ」といった否定的な言葉が届いた。悔しい思いをした栗城は、常識では考えられないが、その3日後に8000m級の山に連続して挑戦し、見事頂上へたどり着いた。すると下山したとき、罵声を浴びせていた人たちから「ありがとう」という言葉が届いた。この驚きと喜びを感じたときこそ、登山における動画配信が、「冒険の共有」として、栗城の「使命」に変わった瞬間だった。

「夢や目標を否定する人たちが多すぎます。学校や企業で講演していて感じるのは、みんな夢や目標があるのに、「お前の成績じゃ無理だよ」「そんなことできるわけない」と簡単に否定されるから、心の中に眠ったまま。僕自身も大学時代にはじめてマッキンリーに挑戦しようとしたとき、周りの人たちほぼ全員に否定されました。そのときからずっとその壁の大きさを感じてきたんです。

だから、冒険の共有を通じて、夢なんて叶わない、と思っていた人の心のスイッチを入れて、みんなが自分を否定しないで、一歩踏み出そうと思えたら、そして応援しあえる世界に向かうことができれば、と思っています。」

エベレストよりも標高が高い「地上の山登り」

「冒険の共有」によって誰かを動かすことができるという喜びがある一方で、厳しい試練もある。それはお金の問題だ。

「やりたいことの理想を大きく掲げても、それを実現するためには莫大なお金がかかるので、そこを埋める過程は苦しみました。僕が『冒険の共有』をするのは、個人的な名誉のため、お金のためという人たちもいますが、僕はこれを実現するために、否定的な言葉も受けるし、2回程大きな借金もしているんです」

入山料や移動費に生活費など、通常の登山にかかるお金だけではなく、栗城の登山には中継するための莫大な費用がかかる。特殊な機材や衛星回線を使用する通信費、「栗城隊」と呼ばれるエンジニアたちとネパールの現地スタッフの人件費……その額は5000万円程にもなるという。通常の登山のみであれば500 万円程だと言われているから、「冒険の共有」のためにかかるお金の負担は大きい。

「資金集めの山はエベレストよりも標高が高いんじゃないかと思ってしまうほど。1年がかりで5000万円を必死に集めています。全国各地、年間80本くらいの講演をして、あとはスポンサーを募る。昨年はクラウドファンディングもやりました。なんとかぎりぎりで集まった感じですね」

講演の様子

2007年にテレビ局の企画がきっかで動画配信をはじめた栗城だが、その後番組として2 回目はなかった。個人的にでも動画配信を続けたいと思ったが、その費用を自己資産だけで賄うことはできない。どうするべきか。思考をシンプルにした栗城は、企業に協賛を募ることにした。

「今はスポンサー企業も厳選されていますが、昔はハンパない数の会社を回って、もう営業マンでしたね。アポなしで行くこともよくあったんですが、そのほうが奇跡が起きたりするんです。たとえば大手家具メーカー本社に行って、受付で『社長いますか?』と。初めは相手にしてくれないんですが、何度も通っていたら受付の方とも仲良くなって(笑)、たまたま通った役員の方が社長につなげてくれたんです。社長と直接話ができると、アドベンチャーな人が多いので共感してもらえるし、話が早い。でもそんなに上手くいくことばっかりじゃないですよ。スーツは着ていかず、資料を入れたザックを背負っていくわけです。雨の日にずぶ濡れで行ったら『おまえはヤングホームレスか』と言われたこともありました(笑)」

企業スポンサーと講演の全国行脚。年を数える度に信頼関係ができ、慣れてきたとはいえ、5000万円の資金を集めるのは並大抵のことではない。栗城はお金をどのように捉え、「地上の山登り」と向き合っているのか。

「お金はエネルギーが高いところに集まってくると思っています。だから、お金を集めるために、企業に行ってプレゼンするときも、講演するときも、自分の熱量を込める。その熱が伝われば応援してもらえるんです。お金は良いものに向かっていくと信じているので、自分自身の志と信念に熱量が加わればなんとかなると僕は思いますね」

人生をかけて成し遂げたい2 つの夢

苦しみや失敗や挫折、それらを乗り越えて楽しむことができたのは「夢や目標があったから」だという。栗城を支えた夢とはなんなのか。

「僕には2つの夢があります。一つは、エベレストを一人で登って山を感じること。シンプルにエベレストという山がものすごく好きなんです。だから山を自分でちゃんと感じたい」

ここに栗城が無酸素・単独、秋季にこだわる明確な理由がある。

「もう一つは、否定という壁を失くすこと。自分の山に登っていく人をどれだけ増やせるか。僕がたとえエベレストへの挑戦をやめる日が来たとしても、挑戦する人が増えていったら、失敗したそれまでの挑戦もすべて意味があると思うんです。多くの人はチャレンジをして、僕のように挫折して下山することもあると思う。でも、また登れるのが山なんです。何度でも挑戦できる」

この2 つがいま人生をかけて成し遂げたいことだ、と栗城は力強く言った。もしかしたら後者の夢は山という手段が変わる日が来るかもしれない。エベレストに登ることだけではなく、栗城は別の角度でずっと、ずっと、挑戦を続けるのだろう。

「シンプルにもっと夢を応援し合える社会にしたい。そのためにやりたいことはいろいろあります。山に登りたい、あの景色を見たい、やってみたい。人生におけるわくわくする直感的な衝動。そういうものは誰にも止められないですよ」

その冒険心と夢を抱いて、これまで経験した悔しさと苦しみを背負い、父や山の先輩たち、応援者の存在を支えに、栗城は再び2016年秋季エベレストの登頂を目指す。

「今年は登れると思います。なぜなら、これまで登れなかった中国側からのアプローチが可能になるからです。6400m地点から登る中国側と5300m地点から登るネパール側とでは1000mの差があって、僕の最高到達点はネパール側からの8150mなので、中国側からだったら登頂できている距離です。だから、今年は絶対いけますよ」

少し間を置いてから「絶対いける、と毎年言っていることが問題なんですけど」と笑う栗城。

いま目の前にいる栗城は、年間5000万円の資金を集めて8000m級の山を登っていることが信じられないくらい、穏やかで和やかで、決して「強い人間」には見えない。失敗や挫折、人間の“弱さ”をさらけ出す。「冒険の共有」で勇気を得ているのは見る側の人間だけではなく、栗城自身もその一人ではないだろうか。そしてその“弱さ”こそが、栗城の“強さ”なのだと思う。

弱いからこそ、人とつながり、応援し支え合う。それは栗城が夢見る世界でもある。栗城が夢を見る限り、この挑戦に終わりはない。


<終>

取材・テキスト / 徳瑠里香
写真 / 馬場一萌


栗城史多オフィシャルサイト
http://www.kurikiyama.jp/