前編を読む

俳優の生身の演技はもちろん、文学、音楽、舞台演出など、様々な芸術表現が融合する演劇。劇作家として、そしていまの時代を生きるひとりの若者として、藤田貴大は、この広大すぎる創作活動に生身でひとつも手を抜かずに挑み続けた。10名程度のお客さんに向けて小さな古民家の喫茶店からスタートしたマームとジプシーは、着実に賞賛を集め、今や演劇界の巨匠・蜷川幸雄とのコラボレーション作品を手掛けるまでとなった。(公演は未発表となった。)

これまでの演劇技法に一切頼らず、人間の真髄に訴えかける藤田の表現の裏側にある、藤田の制作スタンスとそれを育む彼の人間性を探った。

「問いかけ」と「対話」による変化

「僕、演劇界としてはものすごく早いんですよ、いろんなことが。26歳で賞をもらったときに、いま演劇をやっている人たちのなかでは、賞の後の人生がものすごく長いことになっちゃったんです」

2011年、26歳という若さにして『かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、しおふる世界。』で「演劇界の芥川賞」ともいわれる岸田國士戯曲賞を受賞した藤田。その栄光とは裏腹に、今後の人生すべてを演劇に捧げなければならない、という強烈なプレッシャーに襲われる。

そんな最中で生まれたのが、異ジャンルの表現者とコラボレーションして毎月ひとつの作品を発表する「マームと誰かさん」シリーズ(2012年)だった。音楽家・大谷能生、演出家・飴屋法水、漫画家・今日マチ子、歌人・穂村弘、ブックデザイナー・名久井直子…と名立たるアーティストとのタッグを通じて、藤田は互いの「表現のこだわり」をぶつけ合いながら、地道ながらも確実に、自身のポテンシャルを強化していった。

マームと誰かさん・よにんめ 穂村弘さん(歌人)とジプシー

「自分との向き合い方をその時期はどんどん変えていかなくちゃいけなかった。自分のキャパシティの限界を物理的に味わうことも多くあって、『あぁ、やっぱりこれは僕には大きかった』みたいなことを感じるときって結構恐怖なんですね。そういうことが現実的に降りかかってくる職業でもあるから、そういうとき、自分や自分の組織の在り方について『変革』をしていかなくちゃ多分やっていけなくなる。

例えば物理的に、予算がひと桁変わるというとき、このお金をじゃあどうやって使っていくか、みたいなミーティングもどんどんしていくわけですよね。でもそういうの、ストレスじゃなくて楽しいんですよね」

常に変化を求める姿勢。表現者として、そしてチームの主宰として、有無を言わさぬぶれない強さや責任はもちろん重要である。しかし、藤田をこれまで支えてきたのは、他人との「対話」だった。考え続ける作業のなかで、藤田の根源的な「問いかけ」に、いつも誰かがそばで共鳴し、刺激し、確かな「解」を、時間をかけて模索してきたからこそ、藤田の作品は多層的で胸を打つのである。

近代演劇の祖国・イタリアでの新たなる挑戦

藤田の「対話」は国境をも超える。マームとジプシーは、2013年より毎年イタリアで作品を発表し続けてきた。2013年にフィレンツェにて初の海外進出を果たし、2014年のイタリアツアーでは、3都市で公演、5都市でワークショップを行なっている。そして昨年2015年の秋、これまでイタリアで出会った、人・場所とともに、初の滞在制作による新作「IL MIO TEMPO」の公演を行った。

「IL MIO TEMPO」の公演の様子

「イタリアへ行って驚いたのは、タイムスケジュールを渡しているにもかかわらず、イタリア人って3時間くらい昼休みをいきなりとったり、17時くらいになったら『彼女とデートがあるから、ここで」みたいなこと言っていなくなったりするんです。最初に行ったときは、超ストレスでした。みんな休みすぎてて、全然お金稼ぎをしようとしてない(笑)。スーパーマーケットでもなんでもランチタイムが終わってから2時間くらいはお店閉めて、みんな昼寝しているんですよ。それくらい街のテンポが全然違うんです。

だから『幸せのイメージ』が違うと思うんですね。やっぱり日本人は産業で頑張ってきてるし、商業的に頑張っていかなきゃっていう意識がすごい高いじゃないですか。イタリア人ってそういう意識が全然なくて、ちゃんとコーヒー飲みたいときに飲めなきゃやだ、とかそういうことにこだわってる。でもそれがすごく空気的に合うんです。一ヶ月行くってかなりだらしなくなりました。だらしなくなりすぎてイタリア人に『おまえイタリア人か』って言われたりします(笑)」

イタリア人には鍛えられる、と藤田は笑う。「2日間の公演だと思って行ったら、5日間で。3日も前倒しされてた」とイタリア人のアバウトさに呆れる藤田の目は寛大だ。そんなイタリアと日本での暮らしのギャップを楽しみながらも、藤田のイタリアに対する感性は育まれていく。

「イタリアの地形って長靴型っていわれてるんですけど、日本とちょっと似てるんです。僕は北海道出身なんですけど、北から、シチリアにいく感じの距離感とか鉄道の感じとかが、長細いからなんかちょっと日本の感覚に似てて。僕は18歳で東京に期待して上京したわけだけど、その上京するって感覚すらも、フィレンツェに行くのと似てるんですよね。

そういう微妙な共通点を見つけていくと、やる前はイタリア人だからという壁はやっぱりあったんだけど、言葉が違うだけで、やってることはなんら変わりないってことがわかってすごく不思議でした。だから、演劇というコミュニケーションとして結局ひとつの作品にまとめるんだけど、そこに行き着くまでになんとなく演劇とは全然違う、ほんとに普通に人としての共通点を見つけていくという作業をイタリアでは大切にしていました」

イタリア滞在共同制作の様子

巨大な「シーン」を変えたい

イタリアと日本の共通項と相違点、これらを丁寧に現地の同年代たちと対話することで自分の新たな感性が生まれる瞬間を待つあたりは、いかにも藤田らしい。そんなイタリアの時間軸や住む人の人間性に触れながら、「演劇」という分野ではどのような発見があったのだろう。

「結構マニアックな話になっちゃうんだけど、明らかに骨格も体型も違う体があったときに、どういう動きがいいのか、どういう風にしたらこの子が可愛くみえるのか、そういうコツを掴むのが、一歩遅い気がしたんです。やっぱりそういうのって瞬発力が必要だと思っていて、そこに関してはすごく自信があったんですよ。女性の体とか、女性に対しての言葉の書き下ろし方とか。もしかしたら女性よりももっと鋭いところにいけるかもしれないっていう自信がどこかにあったのだと思います。

でもそれが違う条件になったときに、「あ、もうちょっと速かったらもうちょっと違う結果になったのに」ということが起こるんです。そういうものに直面したときに結構いつも毎回細かい反省があって、それをどういう風に塗り替えていこうかっていう作業をするから、海外での演劇は本当に挑戦なんです。予期せぬことが結構起こる」

同じ環境にいてはどうしても気がつかないこと。藤田はその可能性をいつでも追いかけながら、異ジャンルの著名アーティストとのコラボ、伝説的演劇作品のリメイク、そして異国での共同制作と、より厳しい状況へ自らを放り投げ、そこでの対話を吸収してきたのだ。そして今年、2016年10月にも再び1カ月間のイタリア滞在を行うという。

「やっぱりまだそういう点では若いと思ってるから、海外に関しては、結果をあんまり求めようとしないで、すごく実験的なことをしてもいいかなと思っています。イタリアの演劇シーンって結局トラディショナルな演出ができる60歳以上の演劇家が活躍してて、若いひとたちってあんまり活躍できていない状況に実はあったりするんです。

だから、なんかこう、20代の頃は、日本の演劇シーンを変えていきたいと思っていて、いまこういう立ち位置になってきてるんだけど、それと同じでイタリアでも、シーンを変えたいなと、若返ったつもりでやっていくつもりです」

劇団を立ち上げ、来年で10年目。時には睡眠障害に陥り、時には俳優とのコミュニケーションに苛まれながらも、ひたすらピュアに演劇の、そして自身の可能性を疑わず猛進し続けた藤田は、まだまだ止まることを知らない。藤田が今後、どこまで演劇の枠を飛び越え、巨大なシーンを動かすのか、楽しみで仕方ない。


<終>

取材・テキスト / 田中佳佑
写真 / 中野修也


マームとジプシー
http://mum-gypsy.com