現代を生き抜くライフハック 相模

CASE. 04
相模
忍者

すべてを捨てて忍者の道へ。
「忍術」は現代を生き抜くライフハック?

その道のプロフェッショナルにお金と人生の話を聞くMONEY TALK。今回登場するのは、現代の忍者。これまで取り上げてきた著名人ではなく、"職業"という括りで、編集部が最初に行き着いたのは、最も謎に包まれた「忍者」だった。

戦国時代や江戸時代じゃあるまいし、戦のない現代に忍者なんているわけない、と耳を疑う人もいるかもしれない。筆者も取材に行く直前まで、本当に忍者なんているの? 忍者の格好をした俳優なのでは?と、正直半信半疑だった。

すっかり日が落ちた夜、指定の場所に行くと、すーっと袴と道着を纏った「相模」と名乗る忍者が現れた。体幹がしっかり通ったしなやかな所作に目を奪われながらも、あまりに自然体なので、こちらも構えることなく、静かに会話が始まった。

刀に鎧、忍具が飾られたこの場所は、江戸時代に徳川家に仕えた忍びの末裔、武蔵一族の拠点なのだと言う。ちなみに相模というのは忍者名で、自身が暮らす横浜の相模に由来しているそう。

相模さんは忍者として一体どんな活動をして、どうやって生計を立てているのか? 現代の忍者の謎に迫る――。

目立たず、人と衝突しない。現代において、忍術は「生きる術」

―― お金に関する話に入る前に、初歩的な質問なのですが、そもそも忍者とは?

忍者とは、「忍術」を使う人のことで、その起源は一節によると飛鳥時代まで遡ると言われています。忍者が最も栄えていたのは、戦国時代。甲賀や伊賀を中心に、忍術を駆使して敵の領地に忍び込んで主に諜報活動を行っていました。

しかし、江戸時代には衰退していきました。幕府がほかの藩などに諜報機関を持ってほしくないと、忍術の廃止を進めたためです。武蔵一族を含む一部は徳川家に仕えており存続しましたが多くの忍びが職を失いました。神奈川県の忍びの一族は、盗賊となって捕まり、死刑になって滅びたという話もあります。

「忍者」という言葉自体は昭和に生まれたものです。忍者が衰退しても、明治時代も戦争時のスパイ養成学校で、忍術が教えられたとも言われていて、その技術は継承されてきたのです。

―― 忍術とは具体的にどんな技術なのですか?

いろいろな技術があるので一言で説明するのは難しいのですが、たとえば忍び足や呼吸法、刀も手裏剣も使います。忍び足は、実際にやってみると、体幹のバランス感覚が重要で、身体の使い方を知る必要があります。

また、みなさんが想像するいわゆる「ドロン」のポーズは、姿を消すためではなく、精神を整えるための姿勢なのです。手を組んだ瞬間に、心を落ち着かせて集中できるように、日頃から呼吸法を学び、訓練しています。

―― 相模さんは、どのように忍術を身に付けたのですか?

基礎的なことは武蔵一族の忍術の師匠に学びました。今は、普段の生活のなかで、自ら鍛えています。習い事的に道場にいる時だけ忍者の格好をして振る舞いをしているのでは説得力がないですよね。私は常にこの格好をして、忍者としての生活を送るようにしています。

もともとは農夫のなかに忍ぶための格好ですが、袴を履いて帯を締めると重心が腰に来て、身体の動きが変わってくるのです。

―― 忍者としての生活とは、一体どんなものなのでしょう?

目立たず、人と衝突しないこと。昔から一流の忍者は、気配もなく目立たず、名も残さないと言われています。名が残っている忍者は三流だと。

所作としては、衝突しても流れる「水」を意識しています。武蔵一族の家訓として「共鳴水鏡」という言葉があるのですが、目の前にいる人と共鳴し、波立たず、水面に物事を映すように穏やかでいること。そうした状態でいることで、情報を得たり相手の気持を察したりできるという教えを受けてきました。

そうした精神と身体を鍛えるために、自ら山に籠もって修行をすることもあります。

―― 山籠り!どれくらいの頻度で、どんな修行をされるのですか?

山籠りは精神的な負担や身体的な危険も伴うので、頻繁にはしません。ちょうど1年前に1週間ほど行いました。テントも持たずに基本的には野宿で、石の上などゴツゴツした場所でいかに快適に眠るか。山には熊や猪、蝮(マムシ)もいるので、眠る時には焚き火をして火の管理をしながら、熟睡はしないようにします。日中は山をひたすら歩くのですが、山道ではなく、斜面を時に道具を使って歩きます。食料は、お米だけ持っていって、私は菜食なので、野草をいただきます。

忍術は現代の文脈では、戦う術ではなく、総合的な生活術、「生きる術」だと実感しています。

忍者を生業にする人はたったの5人! 忍術を活かした現代の仕事とは?

―― 日々磨かれた忍術を生かして、相模さんは忍者としてどんなお仕事をされているんですか?

現代には忍者が戦うべき敵はいないので、その存在意義は危うく、ショーを行う俳優や複業的な忍者を除くと、忍者を生業にする者は私を含めて5人ほどしかいません。こうしたら食べていけるというロールモデルはいないので、それぞれが自分の得意分野で、忍術を活かして生計を立てています。なかには探偵活動をしている人もいます。

私自身は、文化として忍びの技術を伝えたいと思っているので、カルチャーセンターで講座を持って忍術を指導したり、海外からの観光客に向けてツアーを開催したりしています。私は演出のあるショーはやりませんが、純粋に忍術を見せて欲しいという声には積極的にお応えしています。

一度、スウェーデンのストックホルムで、日本の文化を紹介する大規模なイベントが開かれた際に招待していただき、忍術を披露したこともあります。

2020年の東京オリンピックに向けて、国としても海外に向けて忍者を日本文化として発信したいという動きがあるので、インバウンドの忍者需要は年々高まっていて、今はバブル状態です。100人規模の国際会議でワークショップをやることもありますし、アラブの王族がこの道場を訪ねてきたこともあります。

このバブルは弾けることはわかっているので、忍者業界としては、弾ける前に定着できるよう、積極的に忍術に関するツアーの開催や発信を行っているところです。

―― なるほど、現代の忍者としてのお仕事は、忍術という日本文化の伝承というわけですね。

運送業者の社員からフリーランスの忍者へ。精神と生活、収入の変化は?

―― そもそも相模さんは、いつから、どうやって忍者になったのですか?

私が忍者になったのは2009年、今から約10年前、20代半ばの頃です。当時、私は配達員として某運送業者に勤めていたのですが、突然営業所が潰れて、職を失いました。新しい職を探している時に、mixiでここ(武蔵一族)の代表が忍者のインストラクターを募集しているのをたまたま見つけて、応募しました。

―― なんと!では、一族の血筋というわけではなく、就職というかたちで忍者になったんですね。意外な展開でした(笑)。

そうなんです。就職活動の一環だったので、スーツを着て行ったんですが、場違いでした(笑)。インストラクターとして採用される条件が受け身をとることだったので、無事合格して……。

―― 晴れて忍者に! 受け身がとれたんですね。もともと忍者に興味があったのですか?

ありましたね。もともと祖父が武術をやっていたので、幼い頃から、好き嫌いを超えて当たり前のように、道場に入門して、剣術や柔術、槍など、武術を総合的に学んできました。その延長線上で、忍術にも興味を持っていたんです。

ただ正直、当時は私も単なる興味本位で、本当に職業として成り立つとは思っていなかったので、アルバイトを掛け持ちしながら、ツアーがある時だけ忍者として稼ぐという働き方をしていました。でも、道場で師匠から忍術を学んでいくうちに、中途半端にやっていては、忍者とは言えないと思い、アルバイトも辞めて、生活そのものを変えていきました。

生活そのものを変えていったら、忍者としての仕事とそれに伴う収入も徐々に増えていって、忍者一本で食べていけるようになりました。

―― 忍術を磨いて、忍者として生活をして、生計を立てるように。ちなみに収入は配達員時代と比べるとどうなんでしょう……?

今の収入は、配達員時代よりいいかもしれませんね。私は妻帯者で、妻は専業主婦で子どももいます。それでも忍者の仕事の収入だけでやっていけているので。戦がない今は忍術の活用方法は自分で開拓していかないといけませんが、その適応範囲は広くて、案外色んな収入の糸口があるんです。

―― 相模さんの収入の柱は、忍者としての講師業になりますか?

教育として忍術を教える仕事と、観光として忍術を見せる仕事の2本が主軸になっています。たとえば旅行者向けに忍術を見せるツアーも旅行会社を通したものなのか、自分で企画したものなのか、関わる立場や規模によって収入が変わってきます。それは忍術の指導の場合も同じですね。

―― ちなみに今は、武蔵一族に所属するかたちで収入を得ているのですか?

いや、武蔵一族は法人化しているので、いわゆるサラリーマンとして働く忍者もいますが、私は勤めていません。

―― つまり、フリーランスの忍者なんですね! 仕事や収入が途切れることはありませんか?

今のところ、大丈夫ですね。私は普段から忍者として生活をしているので、妻もそうですが、周囲には自然と似たような価値観の人たちが集まってきます。私の職業やあり方を理解してくれる友人・知人たちが、「これは忍者としての仕事につながるんじゃない?」と仕事を運んできてくれるんです。価値観の合わないコミュニティにいると「そろそろ就職したほうがいいんじゃない?」と言われますが。

―― 忍者としても、たとえば武蔵一族に就職するというお考えはないですか?

やっぱり一回定職に就いて突き放された経験があるので、いくら好きな仕事でも勤める暮らしは、どうしても相手に委ねることになるので、不安定さを感じるんですね。

―― なるほど。フリーランスの今、不安定さや将来に対する不安を抱いたりすることはないですか?

もし会社が倒産したらとか、勤めていた頃に感じていたような、いつどうなるかわからない不安はなくなりました。生活力として、何か困った時に乗り越えられるだけの準備をしておこうと日々鍛えているので、気持ちは上向きです。忍術を磨いたことで、何かあっても大丈夫だと思える対応力が身についたことで、お金にとらわれなくなったのかもしれません。

―― 忍術はお金への不安から解放し、相模さんの生活と心の支えになっているのですね。今後、忍者としてやっていきたいことはありますか? どんなキャリアを歩んでいかれるのでしょう?

忍者として、国内外に向けて、忍術と忍びにまつわる歴史と文化の継承を行っていきたいです。海外の人たちは忍者に興味を持っている人も多くインバウンドで学ぶ機会はありますが、逆に日本人が忍術を学ぶ機会は少ないので、生活に密着した「生きる術」としての忍術を伝える環境を整えていきたいと思っています。

キャリアとして、気持ちとしては忍者をずっと続けていきたいです。でも、忍術の教えに、どうしようもなくなったら悩んでないでパッと道を変えろというものがあるので、それに従うとしたら、今後行き詰まって道を変えることもあるかもしれませんね。

忍術家 相模(サガミ) / プロフィール

1982年生まれ 神奈川県在住の忍術家。
幼少より武術を学び、失業を機に忍者文化を国内外へ発信する江戸隠密武蔵一族にて忍術のインストラクター業を開始。以後、山籠もり滝行などの修行を自ら実践しながら、カルチャーセンター講師や様々な忍術学習プログラムを企画開発し普及に務める。

interview&writing:徳 瑠里香
photo:きるけ。